この「Re:Discover Kimono」では、
Re:ADY BのマーケティングディレクターのSUMIREが、
着物という日本の伝統文化の魅力を再発見していきます。

前回は着物や帯に描かれた植物文様のお話をしました。
今日はもう少し根っこの話——着物という「かたち」自体が、いつどうやって生まれたのかを調べてみました。

着物の直線裁ちを活かしてリメイクした振袖ドレス

「小袖」はもともと下着だった

驚いたのですが、今の着物の直接のご先祖にあたる「小袖」は、もともと下着だったそうです。平安時代、貴族の人たちは何枚も重ね着をしていて、その一番下に着ていた白い絹の肌着が小袖。人に見られることを想定していない、模様のない衣でした。

それが表着になったのは鎌倉時代から室町時代にかけて。武士の時代になり、庶民が着ていた小袖の地位も一緒に上がっていった、という説明を読んで、服の格が「誰が着るか」で決まっていくのは今も昔も同じなんだな、と思いました。

柄がどんどん大胆になっていく

表着になると、今度は模様が主役になります。室町〜桃山時代に流行した「辻が花染」、慶長年間(1596〜1615年)の「慶長小袖」は絞りや刺繍、金箔で生地が見えないくらい埋め尽くす、とても華やかなもの。それが寛文年間(1661〜73年)になると一転して、背中に大きく余白を残す構図が流行します。埋め尽くす柄から、余白を活かす柄へ。着物の背中を一枚のキャンバスとして使う発想が、このころに生まれたそうです。

東京国立博物館には、尾形光琳が藍と墨で秋草を描いた「冬木小袖」という有名な作品が残っています。帯の当たる位置には柄を途切れさせないよう、ちゃんと余白が計算されている——着る人が実際に袖を通したときの見え方まで考えて作られていたと知って、デザインへの向き合い方が現代とまったく変わらないことに驚きました。

実は形はほとんど変わっていない

意匠はこんなに移り変わってきたのに、身頃・袖・衽・衿からなる着物の基本の構造は、小袖の時代からほとんど変わっていないそうです。変わったのは主に寸法だけ。

そしてこの構造、実はRe:ADY Bのものづくりにとってすごく大事な意味を持っています。着物は曲線で裁って立体を作る洋服と違い、直線に裁った布を縫い合わせているだけ。縫い目をほどけば、また元通りの一枚の布に戻せるんです。つまり「解いて、別のものに仕立て直す」という発想は、着物という服のかたちが最初から持っていた性質そのもの。わたしたちがしているアップサイクルは、新しいことをしているようで、実は着物にもともと備わっていた使い方を、現代のかたちでやり直しているだけなのかもしれません。

「着物」という言葉はとても古い

もうひとつ意外だったのが、「着物」という言葉自体は『日本書紀』(720年)にまで遡る、「着る物」という意味のとても古い言葉だということ。「和服」という意味で使われるようになったのは、洋服が入ってきた明治以降だそうです。1300年前からある言葉が、今もそのまま使われているのはなんだか不思議な気持ちになります。

次回は、この「かたち」の中に描かれる柄や織りについて、また違う角度から見ていきたいと思います。

Re:ADY B マーケティングディレクター SUMIRE

Iwaoka Sumire
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